2006年01月10日

ふと思ったこと



年末年始ということで帰省した友達数人と久しぶりに会いまして。
みんな何かしら目標を持って頑張っている子たちばかりで
いい刺激をたくさん受けました。
その内の一人からは特に。

その子は身体障害を持っているんですが、一見しただけではそうと分かりません。
そうと知っている私でも、一緒にいて時々というか殆ど忘れてます。
つーか意識したことがほとんどありません。
だからその子の口から出る「健常者」という言葉に驚きました。
今までそんな話をしたこともなければ、そんな必要もなかったので。

なのにどうしてそんな話になったのかというと、会話の流れで
昔、差別を受けたことがある、と彼女が打ち明けてくれたから。
それ以来、人と話すのが正直怖い、と。

驚きと衝撃で言葉が出ませんでした。
確かに彼女には身体障害がある。
だけど持ち前のガッツと努力でそれを乗り越え
自立して自活できる能力がある。
はっきり言って私よりずっとしっかり生活してる。

彼女とは小学校からの付き合いですが
私は彼女に頼りっぱなでした。
私は運動音痴だった(今は更に劣化)けど彼女は運動全般が得意だった。
足が凄く速くてリレーの選手にもなってた。
中学では陸上部部長も体育委員長もやってた。
私より背が高くて、黒板消すのをよく手伝ってもらった。

確かに彼女は障害者で私は健常者だ。
だけど彼女は私よりずっと出来ることがある。
そこには並ならぬ努力があったと思うけど、私はそれを知らない。
私が知っているのは、足が速くて、黒板消しを手伝ってくれる優しい人だということ。
障害があろうとなかろうと、彼女は素晴らしい人だということ。

だから、受けた差別の内容を聞いて、堪らなかった。
それは本当に差別以外の何物でもなかったから。

彼女がしてきた努力を知るべきだと言うつもりはない。
だけど、障害があるというだけで彼女の持つ能力を無視するなんておかしい。
両手両足があったって、職場で使えないヤツなんてざらにいるじゃない。
考える頭があれば勉強だって出来るじゃない。
障害があるから諦めなければならないことは確かにあるかもしれない。
だけど諦めなくていいことだってたくさんある。
それは諦めなきゃいけないことより多い筈だ。

彼女は受けた差別で、本来なら諦めなくていいことを諦めた。
それを決めたのは彼女自身だけど、決めさせたのは差別だ。
彼女が弱かったからでは決してない。
向上心の強い人だから、諦めていなかったら豊かな未来が広がっていたと思う。
昔持ってた夢を叶えることだって出来たかもしれない。
それがたまらなく悔しい。


「小・中学校時代は恵まれてた。
誰も自分の障害を意識してなかったから。
色んな人に助けられたけど、それは自分が障害者だったからじゃなくて
転んだ人に手を貸すように、友達が困ってるから助ける、
それは当然のことだってみんな思ってくれてたから。
それがどんなにありがたいことだったのか、
みんながあんまり当たり前のようにしてくれたから、
当時の自分は分からなかったけど、今はそれがよく分かる。

差別は確かにある。それは事実だし、受け入れてる。
だけど自分は、差別をしない人がいる世界も知ってる。
それは凄く幸運なことだと思う。」


彼女はそう言って、何やらうんうん頷いてました。
そんな彼女を見て、今まであまり意識したことのなかった彼女の障害を
初めて強く意識しました。

私より出来ることがたくさんある彼女。
それは元からの強さだけじゃなく、障害があるからこそ
乗り越えなきゃいけなかったことがたくさんあったからなんだ。
それを感じさせないようにしていたというのもあるだろうけど
近くにいながら彼女の努力にまるで気づかなかった自分はなんて迂闊なんだ。

「いいんだよ。そんなコタカだったから一緒にいたいと思ったんだ」

そんな彼女の言葉が胸にしみました。
彼女のその優しさは天性のものだと思う。
他にもガッツや向上心といった彼女の強さは
全部、彼女に元から備わっていたものだ。
私は何度となくそれに助けられてきたんだ。


彼女を障害者と思ったことは一度もない。
これからもそう思うことはないと思う。
だって、彼女の障害は私の背が低かったりノロマだったりすることと変わらない。
私に出来て彼女に出来ないことは
彼女に出来て私が出来ないことがあるのと同じだ。


昔、小論文のテーマが障害者についてだったことがある。
私は何を書けばいいのか凄く悩んだ。
彼女のことは思い浮かばなかった。
『五体満足で生まれることが当然なのではなく、
五体満足で生まれたことは幸運だったのだ』
というようなことを書いた。
思い返してみれば、不遜だったかもしれない。
だけど当時の自分が精一杯捻り出した答えだった。
点数は忘れてしまったけど、確か平均点あたりだったと思う。
障害者について深く考えたことなんてない。
だって友達になるのに障害があるかなんて関係ない。
障害がなくたって、合わないヤツとはとことん合わない。
友達が困っていれば、精一杯の力を貸す。それは当然のこと。


「なんか、変だよね」
「うん、そうだね」

話はそんな風に終わり、別の話題に移った。


だけど、彼女が受けたという差別のことが心に残る。
不思議と怒りはない。ただただ悔しい。
彼女が不当な評価を受けたということが悔しい。

そして同時に不安でもある。
自分が思っていることは差別にならないか、と。
その境界が分からなくなってきた。

彼女に聞けば、「そんなことないよ」と言ってくれると思う。
だけど本当にそうなんだろうか。
自信がなくなってきた。
今まで考えてもみなかったツケが回ってきたんだろうか。


でも彼女がかけがえのない友人の一人だというのは紛れもない事実なわけで
なんかそれだけでいいんじゃないかとも思えてきた。



差別はなくならないと思う。
自分も知らずに誰かを差別しているかもしれない。
それを思うと不安になるから、今までより少しは意識しようと思う。

でも多分、やっぱり彼女に対しての意識は変わらないと思う。
お人好しで、こっちが気の毒になるくらいバカバカしい話をクソ真面目に聞いちゃう彼女。
彼女が変わらないでいる限り、私も変わらない。
それでいいんだと彼女がおしえてくれた、そんなお正月でした。



posted by コタカ at 04:26| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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差別
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